私は物心ついて以来、何度も引越しを経験したが、海辺には一度も住んだことがない。高校を卒業するまで、どこに住んだときも、近くには山があった。
実家へ帰る飛行機が着陸する前に、阿蘇の山並みを見下ろしながら、山に対する郷愁を禁じえなかった。
とはいえ、山に囲まれて暮らしたことはない。山はいつも一方の景色の中にあって、私とは遠からず近からずの関係にあった。
山に守られている、という感覚はあった、と思う。
東京の日常の景色には山がない。千駄ヶ谷に住んでいるときは、深層心理ではそのことを心細く思っていたかもしれない。だが、赤坂に引っ越した今は北側に小高い丘がある。それは私に守られている感覚を与えてくれているかもしれない。
景色の一方が開いていることが大切だ、と思って、開いている方向ばかり見てきたが、もう一方が閉じているからこそだということを忘れてはならないことに思い当たった。