gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

映画 夜になるまえに

キューバの作家、レイナルド・アレナスの自伝を映画化したものである。キューバ政府から迫害を受け、キューバで出版された作品はひとつだけで、残りはすべて海外から出版されたらしい。アレナスはホモであった。

最近、映画賞を与えられた作品を中心にDVDを選んでいるが、同性愛者の映画に出くわす確率が高い。それは、映画人には映画は「自由」を表現するためのメディアであるという思いがあるからだろう。

ダビンチもミケランジェロもホモだったという台詞があるが、なぜ芸術家はホモの確率が高いのだろう?芸術家は抑制されることを嫌うことが理由であれば、万人はもともと両性愛者なのだろうか?



迫害の中でアレナスは傑作を生み続ける。そして、アメリカへ亡命。だが、迫害を逃れたあとはよい作品を書けなくなった、と言われているらしい。

内部と外部を分かつ境界を失ってしまえば、絶対的な自由を得たなにものかになれるどころか、逆にもうなにものでもなくなってしまう。それが彼の身にも起こったのだろう。

思えば、キューバという国も、革命によって内部・外部の境界を失って同じ道をたどっている。弾圧された側が、弾圧する側にまわっただけだ。



同性愛とは、混沌へ身を投じることだろう。乱痴気騒ぎもそうだ。国家は秩序であり、混沌を恐れる。芸術が混沌の中でしか成立しないものであれば、国家は芸術家を弾圧する。

だが、生きるためには、混沌が必要だ。生きることはつくることであり、混沌のないところには、つくる余地が残されていないからである。場をつくる人間として、空間には混沌がなければならない、と考えている。

混沌は人間にはつくることができない。人間がつくることができるのは秩序であり、混沌は自然がつくる。ならば、私たちは人間と自然を両方作用させて空間をつくらねばならない。



アレナスにとって、混沌に秩序を与えることが作家活動であり、混沌を失ってしまえばもうなにものでもなくなってしまったのだから。

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