森敦『意味の変容』の中で、私たちの生きる世界を両目を開いて照準眼鏡を覗いた状態に例えてこう言っている。
外部の実現が内部の現実と接続するとき、これをリアリズムという
だが、照準眼鏡のレンズは実は倍率1倍のレンズではなく、倍率1.25倍が使用される。正確に倍率1倍だと、ものがなんだか小さく感じられて、接続しないような気がするそうだ。
われわれのリアリズムは倍率1倍と称する倍率1.25倍である
森敦は、数学に基づいて厳密な論理を展開しているが、この1.25倍のみは、1倍だとものがなんだか小さく感じられるから、というあいまいな感覚から来るものだ。別の箇所では、これは「幻術」という言葉で出てくる。
あるコンセプトを実現しようとするとき、コンセプトに100%忠実にやろうとすると実現しない。20%程度の幻術を入れ込むこと。実現には、むしろそれが必要とされる。
そのようなことが言えはしまいか?