gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

映画 告白

久しぶりに二日連続で映画を観た。それも早朝。朝6時に目覚めて、すぐに映画を観る、というのは悪くない。脳の吸収がよい。

昨日の「悪人」に引き続き、最愛の人(幼い娘)を殺される、という映画だ。

映画のテーマは、犯人が中学生だったら、そして、あなたが教師で犯人が教え子だったら、あなたはどうする?というものだ。

相手が少年法によって守られて裁かれることがないなら、どう裁くか?そして、その少年は、どのようにして更生されるのか?

映画が示す答えは「悪人」と同じだ。「大事な人」がいることを気付かせることだ。

教師は、生徒に、その「大事な人」を失う経験をさせる。つまり、殺す。復讐をする。そして、それとは知らず爆弾のボタンを押すのは、生徒自身。

私はこの教師の巧妙な復讐を観ながら、時間は戻らないことを思う。死んでしまった人は返らない。そう思う矢先に、映像は爆発を逆回しし始める。飛び散ったかけらが元のかたちへ返る。肉片となった「大事な人」も、そのかたちを取り戻す。

だが、時間は再び先へ進み始める。エントロピーは増大するのみだ。

よく映画を観て、それがスクリーンの中だけで起こったことを後で確認して安心する瞬間がある。「告白」もそういう映画だ。

だが、本当はそれではいけない。観る人の中に入って留まり続けるためには、安心させてはならないのだ。「悪人」はその中で起こったことを受け入れられる映画だ。だから、安心しない。

そこに「告白」と「悪人」の質の違いをみる。

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