gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

外部性

昨日の「スポーツ少年と通行人」の話は、お互いに外部的な関係にある人間同士が交わったときに起こる危険性の話である。

そして、その中で例として書いた大リーガー松井選手の話は、その危険も含めて魅力である、という話である。

http://d.hatena.ne.jp/yogosiurubi/20110628

スポーツ観戦の魅力は、まさに外部性を目の当たりにすることの熱狂であり、海外では観戦中にエスカレートして死人が出たりすることもしばしばである。

死人が出ることはよくない、といって、スポーツを禁止することはできない。なぜなら、人間は外部性を必要とするからである。

外部性とどのように付き合うか、それは一筋縄ではいかない問題だ。



震災があって、スポーツや音楽をやっている人たちが「自分はこんなことをやっていてもいいのだろうか」と思った、という。自分たちが、被災者たちにとって外部的であることを実感したからであろう。

その後、しばらくして、「いや、震災があったからこそ、もっとがんばるべきだ」という気持ちになった、という人がほとんどのようだ。

マスコミにとっては書きやすい、いわゆる感動話としてこのような話が目立つ。しかし、この話は、そんな浅いところで完結はしない話だと思う。

ずっと自分に問い続けること。それが重要だ。

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