1985年。ケニア・ナイロビ郊外の食堂。大工が建てたのか、自分たちで建てたのか、分からない。店といえば、すべてがこんな店ばかりだった。
ハエを払いながら出てくるブリアニ。それをハエを左手で払いながら、右手のフォークで食べる。おいしい。なんの不満もない。
必要なものに手が届くか、届かないか、境界線上の生活。強くなければ生きていけない。弱ければ死ぬ。
そんな場所で培った「汚しうる美」という感覚をもとに空間をつくる仕事を始めたにもかかわらず、付加的な価値をつくることを繰り返していないだろうか。
必要はどこにあるのか?美しさは、必要の中にあるのではなかったか?