紛争地へ赴くジャーナリストが現地で拘束されたときに、日本の国民の反応は概して冷たいように報道されている。
自己責任は、どのジャーナリストも覚悟している。それでも、行くのは、きっと好きな仕事であることと、使命感の両方だ。
この二つは、不可分なものだろうと思う。それは、まともな仕事をやっている人であれば、どんな仕事にも言えることではないか。
普通では踏み込めない場所に、どこまで踏み込んでいけるか?
そのことに対する心の昂揚。
そこで実際に行って感じることは、世間で言われているようなこととは絶対に異なる部分がある。
その確信と、それを伝えなければならないという使命感。
その人から伝えられる情報に何を受け取るか、は、受け取る人の感受性による。
それに何も感じられない人たちには、安田さんの人質事件は茶番にしか見えないのだろう。
日本人には、「私は何も感じません!」と真顔で自慢する人が、本当に多いのだろうか?
安田さんが、解放直前にイスラム人を相手に、自身を拘束し虐待することの、イスラム教の原理との矛盾性を熱心に説いたという事実は、そのような場にさえ心の働きが未来を変える力を持つことを明らかにしてくれる。
最後の最後まで、あきらめてはいけない。どんなに暗闇の終わりが遠くに見えても。