gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

感覚は磨いた方がよいか?

楽しく人生を過ごすためには、五感を磨いた方がよいだろうか?

「磨く」という言葉を使うのだから、当然感覚は鋭くなっていく。鋭くなると、好き、嫌いの区別がつくようになってくる。

例えば、食べること。味覚を鋭くすることによって、本当においしいものが分かるようになってくる。分かるようになってくると、以前はおいしいと思っていたものが、まずく感じるようになってくる。そうすると、食べたいものが限られてくる。場合によっては、食べられるものが限られてくる。

そうなってくると、海外旅行で行ける場所が減ってきたり、世界全体で暮らせる場所が限られてきたりする。

他の感覚も同様で、磨くことによって世界が広がるとは限らない。

だから、「鈍い」方がいい、という考えも成り立ってくる。

また、何かに対して「鋭い」感じがする人は、とっつきにくい感じもする。ヘタなことは聞けない雰囲気が漂う。そうなってくるとコミュニケーションの障害も出てくる。

その道のプロになるのであっても、「鋭さ」を外見に出してしまうのはよくないだろう。

許容範囲を広く保ちながら、感覚を磨く方法があるのなら、OKである。そうでなければ、「鈍い」ままの方がずっとマシではないか。

(・・・以上、「鈍い」といわれる人間としての精一杯の自己正当化でした。私、何食べてもおいしいんですけど、何か?)