最近、熱帯魚の水槽をぼんやり眺めながら思うのは、「数の問題」だ。
何度か、書いているけれど、昨夏に絶滅寸前だった我が家の水槽は、その後のグッピーとプラティの繰り返される産卵のために、今は60匹以上がひしめき合っている。
昨夏は残った数匹の魚たちに名前をつけられるくらい親しく接していたにもかかわらず、今の状態では一匹一匹を判別できるわけもない。
一匹一匹のために、ぼくらが尽くせるためには、数の限界がある。
このことは、実は、根源的な問題ではないだろうか?
ぼくらがつくる空間が、詩でありうるとすれば、不特定多数を対象とする心では対応できない。
とりかえのきかない世界は、過多という状態になったときに消え失せる。