水俣曼荼羅の原告側の、一つの大きな目標は被告の行政側から「心からの謝罪」を受け取ること。
それは、日本国民として、熊本県民として、自分たちは棄民扱いを受けていないか?その疑念を払拭することなんだろうか。
ぼくはあまり国や自治体を意識しない生活をしているが、自分だけ不当な差別を受けていると感じたら、やはり求める最優先事項は「謝罪」だろうか。
現在、亡命を希望する外国人を追い出す法を通過させたこの国の無慈悲が社会問題になっているように、この国の行政は平気で棄民政策を採るように映る。同様に力業により通過したLGBT法にも似た側面がある。
そんな政治を許している日本国民は、少数派は滅べばいい、と思うような人間たちなのだろうか?
今がその分岐点にある。