もう20年以上前に出会った若いアーティストは、落ち着いた佇まいをしていた。彼とは一度会ったきりで、その印象だけが強く残っている。
彼は名刺と一緒に、文庫本の切り取られた1ページが入ったセロファンシートをぼくにくれた。文庫本は確か新約聖書だった。
ぼくは彼と別れた後、そのページに目を通したことを憶えている。
そして、彼をその文章のイメージに重ね合わせて記憶した。
文庫本の1ページが、本から離れて旅をする。
意味の断片が、前からの文脈と、後へ続く文脈を喚起する。
今を生きるとは、そういうことかもしれない。
そして、人との出会いとは、今を生きることの象徴的なできごとであるはずだ。
彼のその行為が、アートのひとつだった。