汚しうる美もSOTOCHIKUも、秩序の世界に無秩序を取り入れることだ。
今、時代はそのことを求めていると感じられる。
だが、それだけに危険だ。
無秩序は、一つの無秩序のイメージとして多様に過ぎるという理由で、逆に一括りにされて片付けられてしまう恐れがある。
つまり、流行りとしてすぐに飽きられる可能性があるのだ。
この低きに流れる人間の精神活動にどのように対抗するか?
デザインの力で、一つ一つ丁寧に別々の世界を経験させるしかない。
GRIDFRAMEの前に立ちふさがる最も大きな課題であり、これを乗り越えるためにぼくらはここまで生きてきたとも言える。