森敦が「意味の変容」の中で、小説家がコップを書こうとすると、コップとそれ以外で全宇宙になるように向かい合わねばならない、と書いています
認識することには巾があって、情報にあふれるこの社会の中、できるだけ浅い認識でなんとか社会についていこう、という気持ちにさせられている人が自分も含めて多いのかな、と考えています
その場合は、元々自分の中にあったもの、つまり既存の内部性の中で片付けられてしまって、新しい出会い・発見がありません
対象とそれ以外で全宇宙になるように向かい合える心でいると、外部性・他者性に否応なく出会うことになるのだと思います
「態度の変更」が必要だということではないでしょうか?
そこで初めて内部性が更新される
「意味の変容」では、上記の小説家の話を生死を賭けた対決に並べて書いています
ウクライナもロシアも、国民の多くが何が行われているかの事実を全世界へスマホで発信することに命を懸けている
敵を殺すことに命を懸けているのではなく・・・
今後、核戦争以外はすべてこのような戦争になるのでしょうから、権力者も簡単には戦争を起こせなくなるでしょう
プーチンもアメリカに騙されて戦争に突入したことを後悔しているところがあるはずです
これも、生死を賭けて現実に向かい合う国民の「態度の変更」によるものだと思います
上記から、核を廃絶すれば、人類滅亡の危機は遠ざかるはずです
この機に及んで、原発再稼働や防衛費拡張を言っている政党は、自分の利権を守りたいという動機以外にないはずなので、消えてもらいたいと願っています
日本人にも外部性・他者性に向き合う「態度の変更」が必要なときが来ていると感じています