陽向が一気にしゃべり始めると止まらない。
ぼくはうれしくそれを聞いている。
今日の話は「命の終わりは、勝ったとか負けたとかじゃなくて、みんな逞しいんだよ」という話。
どこから来た言葉なのか、よくわからない。しかし、何度聞き返しても同じフレーズが返ってくるということは、彼の中で何かが腑に落ちたのだろう。
ぼくは「意味の変容」の一節を思い出した。
実現とは死であるのか。ここに生がつねに問わねばならぬ問いがあるのだ。なぜなら、現実は実現されることによって、はじめて実存するところのものとなるのだから。だが、もしこの問いをむなしとして、問うことを放棄すれば、わたしはただあるがままにあるにすぎないものとなって、なにものでもないものになってしまうであろう。
陽向にこれを話したが、むろんまだ分かるはずもない。
どんな問いも答えに飛びついてはならない。答えとは、問いを問うて大いなる問いに至ることでなければならない。
何か一つのモノに向き合えば、それとそれ以外のモノというとき、全宇宙になる。
どんな小さなものにも、その背景には全宇宙が広がっている。
そうして生きた命の終わりは、どうか逞しいものであってほしい。