ぼくの祖父の頃までは、家父長制の色が濃かったのだろう。戦争もあって、子沢山の時代に、本家の戸主といえば、相当な人数(100人位)のトップという意識が強かったのだろう。
父の時代には核家族化して、家父長制は言葉だけで聞くものになり、実態に触れることもなくなった。父権による強制は影を潜め、概ね職業や結婚などを本人が自由に決められるようになったと言っていい。
だが、家父長制時代の父は自分を、社会秩序を自ら形成する立場だと位置づけていただろう。
うるさいだけではない。きっと、家族を守るという気概を持っていた。
かつての有名政治家から漂ってくる気概は、きっとそこからくる。
これから出てくる、社会秩序を自ら形成する個人の気概は、立場からくるものであってはならない。
自由からくるものでありたい。