アーティスト吉良康矢さんの展示を、堀切菖蒲園のaire amenoへ見に行った。まだ訪れたことのないウガンダに自分の名前の道を見つけて、その風景を想像してつくった一筆書きなどの作品。
吉良さんの頭の中を想像することが愉しい。
そして、トークショー。テーマは「居候」。
彼は、高知やペルーなど、さまざまな場所で居候をさせてもらいながら、現在の彼を築いてきた。今、ギャラリーでも居候させてもらっているらしい。
居候は、かつては名だたる作家たちもしていたことで有名だし、そこら中に当たり前にあったが、今はほとんど聞かなくなった。他人が生活の中に入ってくるのを嫌うようになったのだ。
他者の中に飛び込んでいく。他者を受け入れる。ぼくらが子供のころはまだ、家にカギをかけない家がたくさんあった。
他者を信頼する。それが当たり前だった時代が、今より悪いわけがない。
そこには、共に生きていこう、という姿勢がある。学び、学ばれる関係性がある。
佐谷恭さんによると現在ポーランドでは、ウクライナ難民を難民キャンプではなく、それぞれの家庭に居候として受け入れているらしい。
きっとSOTOCHIKUはその空気感をつくりだすのに有効だ。