gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

意味を取り去らなければ対応することができない

ABCD論を書きながら、森敦「意味の変容」を思い出している。

 

意味とは何か?

 

対応し、構造して、意味を生ずる。

 

だが、その意味を取り去らなければ、対応できない。

 

だから、意味は取り去らなければ、循環していかない。

 

意味を生むとは、閉じられた世界をつくることだ。

 

 

そして、閉じられた世界は、やがて壊されなければならない。

 

そのようにして、人はらせん構造を回り続ける。

 

 

左の象限は閉じられた世界、右の象限は開かれた世界だ。

 

仕事で右の象限にいるのか、左の象限にいるのか?

 

プライベートで右の象限にいるのか、左の象限にいるのか?

 

仕事とプライベートを分かつ必要も本来はない。

 

らせんを描くベクトルを失って、ただ微笑む人となるとき、

 

本当にDに至って、自然へ返っていくのかもしれない。