最初にエースケさんを飛行機の中で見かけたのは、エースケさんの5列ぐらい後ろの席からだったと思います。エースケさんは、モジャモジャの髪にヒゲを生やして、まるでライオンみたいで、客席ではひときわ目立っていました。その人が、大声で隣の方に熱弁をふるっている様子を見て、「あのエネルギッシュな人は、きっと着いたらすぐにキリマンジャロに登るような人なんだろう」と思いました。
ナイロビに着いて、偶然同じ宿に泊まることになってから、初めてお話をしたときにその印象を伝えると、「とんでもない。ぼくは体が強くないからねえ・・・」みたいな、よく見ると顔をクシャクシャにして笑う、細くて優しげな容姿と柔らかい口調に拍子抜けしたのをよく覚えています。
それは今までずっと変わらない印象で、最近はfacebookのお友達に「塩爺」と呼ばれているようですが、宿で一緒になった日本人からは、スワヒリ語で老人を表す「ムゼー」と呼ばれていました。39歳から、ずっとおじいちゃんなんです。
エースケさんの興味の対象はとても広くて、社会問題や精神世界、音楽や絵画、有機農業、など、興味を惹かれる対象にはどんどん動いて事を起こし、その都度、誘っていただくことで私の世界も広がっていきました。
私がエースケさんのことをすごいと思うのは、常に、未来に対してポジティブなイメージを持ち続けてきたことです。それは、自分が動くことによって世の中を変えられる、という信念があってのことだと思います。
私たちにできることは、故人の遺志を見極めて、それを私たちの人生に活かしていくことに尽きます。
私も、エースケさんの残像と向き合って対話を繰り返しながら、私に残された時間を生きていこうと思います。
最後に、ご報告が遅れましたことをみなさんにお詫び申し上げます。
facebookには、追悼アカウント管理人、というものがあるということを知り、手続きを進めておりますが、認めていただくにはまだ時間がかかるようなので、あまり時間が立たないうちに、と考え、友人の投稿というかたちでのお知らせを選択しました。
もうしばらく、このアカウントは、コメントを自由にできる状態です。
長文、失礼いたしました。