静かな祭り
~「内側世界」と「外側世界」の境界として~
人は社会に出て働き始めるまでは、
自分の内側から世界を見て
それぞれの理想を描いて社会の戸を叩く
そして、働き始めてすぐ、
外側にあった現実の壁にぶつかったとき、
自分の内側からくる世界観が
自分の生きている現実の重量に匹敵しえないことに気づき
愕然とする
彼は
内側からくる世界観に蓋をして、
現実に対応することに没頭しなければならない
ある人は、一生蓋をしたまま過ごす
そして、ある人は、働き終えた後、蓋を外して、
失われた時間を取り戻そうとする
けれど、外側と内側はいつも接しているのではないのか?
外側の世界をまっすぐに見つめようとすることは
やがて内側の世界も見つめることに帰結する
外側の世界での成功を祝う祭りのどんちゃん騒ぎの中で
ふっと「静けさ」が透けて見えるとき、
彼には外側と内側の境界が見えている