フランクロイドライトは、日本に6年もいて、この帝国ホテルをつくっていたのだ、ということを初めて知った。
いや、覚えていたことを忘れてしまっていたのかもしれない。
彼が日本の文化に魅せられていたことは、アメリカで彼の建築を訪れたときに実感していた。
ジョン・アーチア教授は、バッファローでライトのつくった家に住んでいて、パーティに呼ばれたりしていたのだ。
そこに流れる空気には、確かに何か感じるものがあった。
暗闇の存在。
熊本の父が生まれた家にも感じられた、あの実在感。
その家は、昨年の熊本地震で、今年取り壊された。
帝国ホテルも、すでに改装され、当時の欠片だけが飾られている。
知識ではなく、本質はどのように受け継がれていくのか?
しばし、考え込む。
ホテルのような大きなプロジェクトにも、進んでいく中で人間的なコミュニケーションが交わされる必要がある。
ぼくの偏見に過ぎないかもしれないが、小さなプロジェクトでは成立しやすいものが、大きなプロジェクトになるとそうはいかないようだ。
その原因はなんだ?