インダストリアルは、通過した一つの時代を表すだけでなく、人類の到達したひとつの普遍的なかたちを表している、と言えはしないか。
なぜなら、その後、時代はコンピュータ時代へと入っていき、機械部分はブラックボックスの闇の中へ消えていったからだ。
人間が機械のすべての動きを視覚的に確認し、場合によっては自分でパーツをつくって修理できる時代は、とりあえず、そこで終わってしまった。
だが、その終焉の時期は、教育が広く行き届き始めた時代と重なってしまった。多くの人間が、ブラックボックスのない機械に向き合う機会を逸してしまったのだ。
インダストリアルな機械とコンピュータ機械との隔たりはとても大きい。体感が違う。それが在る空間が違う、と言ってもよい。
インダストリアルな機械からは、生命が感じられさえする。逆に、コンピュータ機械は、できるだけ生命が感じられないようにつくられているといってもいいくらいだ。
ブラックボックスのないところで世界を進めていく。懐古趣味ではない、インダストリアルな世界の前進。
なんだか心が躍る。