2006年。中国。
ぼくは長江がどの有名な町を流れているかも知らない。そして、近年、ダム工事によって、どのくらいの規模で町が沈められたのかも知らない。
映画を観た感じだと、やはり中国。相当、大きな町がダムの底へ沈んでしまうらしい。
地名を憶えない癖は、ぼくの知識を線でつないで広げていくのを明らかに妨げている。
ぼくは、30歳くらいまでに、世界の相当な数の町を訪れたにも関わらず、そのほとんどが記憶の底へ沈んで行きつつある。
そう、ダムの底へ沈んでいくように。
ぼくは、自分がこれまでに訪れたほとんどの町を二度と訪ねることができないまま、この一生を終えることだろう。
けれども、自分の中に残るものは確実にある。
中には、覚えようとしなかったからこそ、残っているものもたくさんあるのかもしれない。
この映画に出てくる中国人は、ぼくたちと姿かたちは似ていても、出会ったとき、何かについて共に語れるような話題を持たないだろう。
言葉にならない記憶をそれぞれが持っていて、それが今のその人全体をつくりあげている。
そのような人間同士が、空間を共有する時間を持てる幸運。旅とはそのようなものだった。
共有するものが少ないがゆえに、際立って見えてくる人間。
映画の中に「2000年の町が、2年で沈められる」という言葉があった。
失われるのは、なんだろう?