貧しい少女は、寒い夜、街から野原へ出て、次々に出会う人たちに自分の持っているものを与え続け、ついには服一枚も身につけるものがなくなってしまう。
そして、空を見上げると、空に輝く星が無数の銀貨となって降ってくる。
そんな話だ。キリスト教の「報い」の概念そのままだ。なんと、そのような童話が多いことだろう。
陽向に、毎晩童話を読み聞かせながら、そう感じる。
だが、少女の味わった寒さを想像する体験はリアルだ。一生分の銀貨をもらったとしても、ハッピーエンドとは言いがたい苦難だ。
「報い」は、あるかもしれないし、ないかもしれない。報いを意識した善行には、むしろいやらしさを感じるのが社会だ。
無償の行いにのみ、報いは訪れる。そのような教えは美しいが、資本主義社会とは根本的に合致していないのが現実だ。