トルコにあるギリシャ文明の遺跡を訪ねると
イオニア式の柱を構成する円筒形の部品が
草の上にコロコロといろんな方を向いて転がっている
ぼくは部品を見て、在りし日の荘厳な神殿全体をイメージしながら
雲ひとつない青空を見上げる
「部分は全体のためにある」
そのような文化が西洋をつくりあげたのだと実感できる瞬間だ
一方で、ぼくらは全体を持たないで、今ここを積み重ねていく
始まりも終わりもなく、全体がなければ部分もない
このような日常を守るために、
それを壊そうとするものはやわらかに封殺していく
部分によって、全体を想起させる空間
歴史的に、この国に足りないものではないだろうか