日本では、人が死んだら魂は裏山の上空に昇って、祖霊(氏神)となり、子孫を見守る。(柄谷行人『遊動論 柳田国男と山人』p.22)
柳田国男は、そう固く信じていたとされる。
父の転勤により、各地を転々とした子供時代を過ごした私も、裏山のある場所に住んだことがある。
その山へ子供同士でよく登った。
父母の実家である熊本には、阿蘇山があったが、そこは裏山というには広大すぎる。でも、父母にとっての裏山といえば、阿蘇山以外にないだろう。
ぼくは、氏神様のお祭りへ行った経験も少ないが、それでも柳田国男の信じていたことを理解できる。
日本のネーションとしての同一性は、その後、さらに失われていったように見えるけれど、果たしてどうなのだろう。
最近、若者たちから愛国心を感じるようになってきた。ぼくらの世代よりも、それは強いのかもしれない。
ぼくはこれまで、柳田国男の考えていたことを、なにものでもない、と考えてきたのだろう。
けれど、なにものでもない、と感じているわけではない。