ぼくがコンタクトレンズを初めてつけたのは就職してしばらく経ったときだった。
その少し前に読んだ短編小説に、軽い近視の登場人物がコンタクトレンズをした途端、見たくないものまでが鮮明に見えて、気持ち悪くなって捨てた、というものがあった。
見えすぎる、ということはよくないのだな、と思ったぼくは、コンタクトレンズをつけた瞬間に自分がどう感じるか、多少不安まじりに、それでも楽しみにしていた。
まず、左目だけつけてくれて目を開けた。ぼんやりとして退屈な世界が、それまで見たことのない奇妙な世界に変わった。
やがて、これはどこかでみたことのある世界だ、と思い直した。そうだ、レンズにぼかしのフィルターをつけて撮った写真みたいだ。
この効果は、女性を綺麗に見せるために使われていた。私はうきうきした気持ちで、係の男性に「こんなふうに世の中を見ている人もいるんですよね」と訊いた。
それから右目もつけてくれた。もうフィルターはない。一眼レフのカメラで覗いたピントの効いた世界に、自分の体が入り込んだような感覚を受けた。
今までとは別の、どこか人工的な光沢感のある世界だった。
確かに、それを見えすぎる、とする感性は理解できると思ったが、いやではない。
そう感じる自分に安心して以来、ぼくはもう20年以上、一日の半分をこの人工的な世界に生き続けている。
今日もコンタクトレンズを装着するぼくを、横で陽向が興味深く見ている。