それぞれの人間の根底には、カオスがあって、決してそれを概念化することはできない、と思っている。
だから、何かを自分から絞り出そうとするときには、その根底になんとか触れようとすることが、「誠実」というものだと思う。
すぐそこに答えが見えているように思われている場合も、その手続きを怠ってはならない。
たとえ、それによってアウトプットしたものが陳腐なものに映ったとしても、その手続きを経ずにアウトプットされる「もっともらしいもの」よりも1000倍マシなのだ。
ただし、世の中は、その逆にしか見ない。
自他共に認めるかたちで、「誠実」が「もっともらしいもの」を凌駕するのは、ずっと時間が経った後かもしれない。
それまで、誠実であり続けられるか?