ジャクソン・ポロックの絵画と出会ったときの新鮮さは記憶に新しい。だが、しばらくして、この絵画は本物だろうか、という疑問を持つにいたったことも、よく憶えている。
映画でも、ポロックはそのことを自分に問い続ける。液状の絵具を画面に飛ばし続ける技法を生み出したのは、まぎれもなくポロックなのだろう。だが、そのことと一枚一枚の絵の価値は、どのようにリンクするのか。
ポロックはインタビューに答えて、「偶然というものはない。自分はすべてをコントロールしている。」という。だが、そこには嘘があると思う。画家と作品のつながりを保証しなければならない、という画壇のルールに、ポロックは縛られているだけではなかったのか。
私は、映画の中で俳優がまさにポロックのように絵をつくっていく作業を見ながら、そこでできていく絵が、実際のポロックの作品よりも劣っているとは思えなかった。
私たちは今、自由にポロックのように、壁を汚すことができる。そして、その壁は心地よい空気感をつくる。その事実だけで十分ではないのか。
今、私はポロックの絵画は本物だと思う。それは、当時の絵画に対する価値観とは違ったものを根拠とするだろう。
ポロックの絵画こそ、私たちGFが追求している「なる」ことの価値を裏付けしてくれているのだ。