外部を取り込むとは、自分たちではコントロールできない要素を積極的に取り込むことである。
外部を取り込むことによって、内部と外部の境界が揺らぎ、関係が更新される。
だが、外部のいいなりになってものをつくることを、外部を取り入れるとは言わない。それは、内部がない、ということだ。内部がなければ、外部もない。つまり、なにもない。それはただ、奴隷のようにつくることだ。
内部が強固であればあるほど、強固な外部と対峙することができるだろう。
とはいえ、そのような強固な内部は世間に求められているのか?現代のフラットな世界にあっては、単に風景を乱す邪魔ものに過ぎないのではないか。
強固な内部は身を隠し、蛇のように地平をすべるのが賢明だろう。内部も外部もないかのごとく。
そして、どこかで不意に首をもたげる。誰もそんなところにいるとは気づかぬ場所で。