gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

映画 オールドボーイ

2003年、韓国。

饒舌な酔っ払いのおじさんが、突然、拉致されて15年間も監禁生活を送るはめになる。そして、部屋に置かれているテレビで、自分が妻を殺害して、行方をくらましている、というニュースを見る。

だれが、なぜ、自分をはめたのか。

15年後、突然解放されたおじさんは、復讐を開始する。

彼をはめた人物は謎である。そして、突然解放されたのだから、おじさんは解放後もその人物の手のひらの上にいるのである。最後の最後まで、おじさんは手のひらの上から下りることができない。

が、おじさんと彼をはめた人物とにどんな悲惨な過去があったとしても、私は興味を持てない。それは脚本家が任意に決定できることであって、フィクションに過ぎないからだ。特に、真相が悲惨であればあるほど、リアリティは遠ざかっていく。

リアルなのは、さまざまなディテールである。

1.監禁生活の間に、おじさんは体を鍛え、とんでもなく強くなった。だが、スーパーマンではない。おじさんは、とんでもなく強い、ただのおじさんである。そのへんにリアリティがある。大勢のチンピラとの闘いのシーンで、背中にナイフが突き刺さったまま闘うおじさんの姿を見ていると体に力が入る。生身の体を感じさせる美しいシーンである。

2.おじさんが監禁ビジネスの集団につかまり、集団のボスに歯を抜かれそうになって恐怖におののいているときに、「想像力が恐怖させるのだ。想像しなければ、怖いものは何もなくなる。」とボスが笑いながら言う。次の瞬間、おじさんは不敵な笑みを浮かべ、ボスは一瞬のけぞる。

などなど。

ミステリーは、謎の設定によって客を引き込むが、納得するような答えが得られないで、拍子抜けで終わることも多い。が、納得する答えが得られたとしても、だからどうなの?と思ってしまう。つまり、ミステリーの本質は、答えにはない、ということではないだろうか?

よく映画の宣伝で「驚愕のラスト」などというが、おそらく私にとっては、そんなものはいらないのである。ラストまで、リアルなディテール満載の映画であることこそが重要である。