gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

アンゼルム・キーファー

キーファーの作品には、砂・藁・鉛などの損傷しやすい材料が多用されている。

その思い切りのよさが第一印象だ。まるで泥遊びをする子供のような・・・、いや、紛れもなく、大人の泥遊びの作品とも言える。美術館は、その保存に四苦八苦するだろうが、アートとはそもそも保存されるべきものなのだろうか。

アメリカで「汚しうる美」について考えているときに作品に出会った。作品に込められた彼の追究する意味の「重さ」は、解説書を読まなくともずんずん響いてきた。その意味自体が何かは分からなくとも、それで充分な気がした。

「重さ」とは、本質だろうか。私には答えられないが、この愉快とも、不愉快とも言えぬ「重さ」が私にとって表層とは感じられなかったことは事実だ。

これまで観た作品はどれも3m以上の巨大な作品で、それが1点パースペクティブの構図で描かれているので、一層の拡がりを感じさせる。大人の泥遊びの無限の拡がり。荒涼とした風景。

風景の彼方に、希望とも絶望ともつかない、未来が見えてくる。