gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

矛盾は必ず無矛盾であろうとする方向を持つ

私がかつて裏通りの壁に「汚しうる美」を見い出したとき、私はその場所へまた次の日も通ってみた。前日のようには、美しいと思うことはできなかっただろう。というより、醜いと思ったかもしれない。

「汚しうる美」は、常に美しいものではない。なぜなら、汚しうる美は「汚れていて、かつ美しい」という感覚であり、矛盾として成立する美しさなのである。改めて、対象を見直したときに、「汚れているが、美しい」という矛盾のない感覚として捉えられたとしたら、もうそこには既成概念があるだけで、本来の「汚しうる美」ではなくなっているのである。

矛盾として存在するものは、複数の人の間で安易に感覚を共有されない。美しさは、あるとき、突然に感受され、次の瞬間には消え失せるだろう。

そのような類の美は、どのような空間だろうと約束されることがない。ほとんどの人間にとっては、それが感受される可能性のある空間は、逆に唾棄すべき空間ですらありうる。だって、裏通りの空間を、そのまま部屋にしてみたとしたら、立小便の匂いや犬のウンコももれなくついてくることになるのだから。

本当の美しさは、矛盾として表れるより他にないのか。