gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

かけがえのなさ

スクラップヤードのスクラップたちを見ていると、不思議な感じがする。それは、自動車を見て、自動車だと認識するような視点とはどこかが違うからである。

通常、捨てられる以前のものを見るとき、「機能」として見る見方が突出することが多い。

一方、私がスクラップ(=捨てられたもの)を見るときには、次の3つの視点がほぼ同じ重みで重なってくる。ひとつは、鉄の塊20キロ、などの「量」として見る見方。二つ目は、元は自動車だった、という「機能」として見る見方。三つ目は、スクラップ「そのもの」として見る見方。

この三つ目の見方が、ものをつくるときに、自然素材としてものを見る見方に対応する。そこには、そのものが持つ物性を見い出そうとする意志が働く。「かけがえのなさ」は、このような視点からしか出てこない。

「捨てられたもの」という、かけがえのない、という言葉から最も遠いところにある印象のものが、まさにそのようなものであるがゆえに、そこから「かけがえのなさ」が溢れ出るのだ。

遠くのものを近くに見る。近くにあるものに遠くを見てしまう。「かけがえのなさ」を見い出す視点とはこのようなものではないか。