バッファロー駅の廃墟を見学させてもらったことがあった。
しっかりした立派な建物だったから、別に何が壊れていたわけでもなかった(ように記憶しているが、そうではなかったかもしれない)。何年も人が訪れることのなかった場所には、ただ、意味をなくした書類が、くるぶしくらいの高さまで積もっていたことが思い出される。
そう、廃墟になる、ということは、意味を失う、ということなのだ、と思い知らされた。
打ち捨てられた空間から、誰かの怨念を想像する者もいるだろうし、世から逃れることによる安らぎを見い出す者もいるだろう。しかし、私がそのときに感じたものはそれとは違った。
それは、私の中に眠っていたものを目覚めさせるような感覚だった。いや、感覚の麻痺、と言った方が正しいかもしれない。一瞬めまいを感じるような、あの感覚である。
そのときの私は、日頃は感じたことのない、暴力的なエネルギーがふつふつと湧いてくるのを感じとっていた。ここを出なければ、と思ったのを憶えている。
空間が意味を失ったとき、人は、日頃自分をコントロールしているルールを失う。知らなかった自分が、次々と起き上がるのを感じる。
廃墟が恐ろしいのは、そこに霊がいるからではない。恐ろしいのはそこにいる自分である。