gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

土木工事の現場にて

ゼネコンに入社すると、まもなく鉄道の高架橋の現場に配属され、現場監督として働くことになった。

職人さんは新人の自分に対してずいぶんよくしてくれた。職人さんを指示するというよりは、職人さんに教えてもらう毎日だった。

しかし、一月ほど過ぎると、職人さんは目の前の作業の効率のことだけを考えていて、何を何のためにつくっているのか、ということには無関心だ、ということが分かってきた。

私は、何を何のためにつくっているのか、を知ることによって、職人さんはより豊かな気持ちで働けることになるだろう、と思い、そのことを職人さんに伝えたいと思った。

しかし、私が伝えたいと思うことに興味を示す職人さんはいなかった。それにこだわることは、単に作業の効率の低下を招くことにつながると思われた。職人さんは、ただ目の前の作業を黙々とこなしていく。

では、つくることとは一体何なのだろう。

私には、何を何のためにつくるか、ということが重要だ、と思った。エンジニアという立場では、おそらく一生その部分には関われないだろう。職人さんが、その部分に関わることができないのと同じように。

とはいえ、土木工事の現場は、職人さんのプライドを賭けた場所だった。あるとき、雨の日が続き、工程は遅れ始めていた。屋外で電気溶接をしなければならないのに、無情にも雨は降り続く。長い休みに入る前日。朝、目を覚ますと、小雨が降っていた。とうとう今日も工事は進まないか、とあきらめかけたとき、まるでGメン75の刑事たち(若い人には分かるまい)のように、ニッカポッカをはいた職人さんたちが現場にならんで立っているのが目に入った。

職人さんたちは、テレビの俳優よりもかっこよかった。「ビリビリくるなぁ」などといいながら、小雨の中、溶接を続けた。

つくることとは、一体何なのだろう。