gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

映画 世界はときどき美しい

世界はときどき美しい」というタイトルは美しい。「ときどき」を入れることによって、リアリティを獲得している。なぜなら、このタイトルは「世界は通常は醜い」という裏の意味を含みこみ、世界全体がどうであるかを描き出してくれるからである。

英語のタイトルでは、"The world can be so wonderful"と出ている。英語の方が元かもしれないので、文句をつけてもしょうがないかもしれないが、この英語には全くひっかかりを感じない。

ストレートに"The world is sometimes beautiful"の方が、ひっかかりがあってよい。

私や妻が、アメリカの別々の大学でつたない英語を話しているとき、両方がアメリカ人によく言われたことは、「ポエティックに聞こえて、イマジネーションを喚起する」ということだ。日本語で思いついた言葉を直訳的に英語に変えて話すと、アメリカ人には聞きなれない言葉になる。英語力のつたなさが、逆説的に、私たちの言葉を詩的なものに変えていたのである。

こんなことについて長々と書いたのは、この映画の弱さがここに代表されているような気がしたからである。

5つの短編映画それぞれが、ちょっと賢そうで、おしゃれな映画にまとまってしまっている。おしゃれな雑誌を読んだ感じである。観た後に残るものが少ない。

おそらくそれは、「世界は通常は醜い」という、タイトルの裏の部分が描き切れていないからだ。美しさはぼんやりとそこにあるかもしれないが、それを見つめさせる強制力を感じない。

正しい日本語がないように、正しい英語、なんてない。さらりと、おしゃれに、間違いのないように、流してしまうことこそ、映画の持つ力を失わせてしまうことだと思う。