gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

映画 エレファント

2003年の映画だが、私がこの頃、ほとんど世の中の常識についていってなかったこともあり、この映画が「コロンバイン高校銃乱射事件」を主題にしていることを知らなかった。DVDの装丁が魅力的で、良作の匂いがしたから、観ることにしたのである。

最初のシーンは、朝か、夕方の重たげな空だ。どうやら動物としての象が出てこないらしい映画のタイトルが「エレファント」であるならば、おそらくとんでもないことが起きるに違いない、という予感がした。そして、舞台が高校である、とわかったときに、ひょっとしたら、例の事件を描いているのかもしれない、という予感に変わった。その予感は、しばらく確信には変わらなかった。ジョンという少年が、校舎の外に出たときに、入ってくる武装した二人組の少年と言葉を交わさなければ、私の予感はずっと予感のままだったはずだ。

この二人組が登場した後も、銃乱射は始まらない。時間は巻き戻され、事件が始まる直前の他の生徒の行動を追う。その生徒の行動を追ってしまうと、再度、時間は巻き戻され、また次の生徒の行動が紹介される。繰り返し、繰り返し、同じ時間帯が、違う生徒の行動で描かれる。

しかし、二人組は既に登場してしまった。これはやはり、銃乱射事件を描いていることを知っている。いつ惨劇が始まるのか。そのような目で映画を見続けることになる。

アメリカの観客は、また、ほとんどの日本の観客は、銃乱射事件の映画であることを知った上で、この映画を観るであろうから、いつ二人組が登場しようが、緊張感は変わらないかもしれない。だが、私は、できれば、乱射が始まるまで、二人組に登場してほしくなかった。なぜなら、そうであれば、私には予感があることだけが、その学校で過ごす生徒たちとの違いであり、まるで被害にあった生徒たちのように映像を見つめ続けることができたからだ。

確信に変わった後では、もう普通の観客としてしか、この映画を観ることができない。それが残念だった。

当然のことだが、この事件を世界中の人が知っているという前提で、ガス・ヴァン・サント監督は映画をつくっている。しかし、この事件のことを知らない人がこれを観たら、この映画はどんな映画なのだろう。

私はそこに興味がある。なぜなら、何かが起こるかもしれない、という緊張感は、二人組が登場した途端に薄まったからである。ある意味、先が見えて、安心してしまった。

ひょっとしたら、安心することなく観続けることができた人にこそ、この映画は多くのことを語ったのではないか、という気がするからである。