http://d.hatena.ne.jp/yogosiurubi/20100205/1265401832
一昨日、映画「トニー滝谷」について書いたのが、このシリーズの3と言ってもよさそうなので、今日は4である。
藤井フミヤに「INSIDE」という曲がある。
偶然の幻に
人ごみへと影を追って
さまよう影
この美しい歌詞の「影」とは、過去の幻影であり、内面(INSIDE)=過去=影である。「過去を持つ」ということは、「内面を持つ」ということに等しい。
再び、現在・未来を向くために、人は過去を忘れようとする。しかし、「忘れる」という現象は、意志によって成されることではない。人は、いつの間にか忘れる。生き続けていれば、ごく自然に。
では、「忘れる」ということはリセットされる、ということだろうか。
もちろん、そうではない。表面に浮かんでいたものが、深い淵へと沈んだのだ。
忘れられたものは全て、人の深い淵へと沈み、その人の中心に堆積する。人は想い起こすことなく、影と一体化するのだ。
人も時代もそのように変わっていく。
一度、起こったことが、リセットされることなど、決して、ない。