gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

映画 トニー滝谷

ひとりが、ふたりになって、またひとりになる。そのシンプルなストーリーは、妻になる女性が登場するあたりから、すでに見通すことができる。その女性はトニー滝谷と生き続けるにはあまりに美しすぎるのである。

つまり、観る者は、映画の中の過去・現在・未来を同時に視る視点を獲得する。おそらく、そのことによって、全体を貫く「孤独」が体の中に気体のようにすみずみへと行き渡ることになる。

私たちは、現実の中でも、同様の視点を持った経験がないだろうか。未来を見通せるがゆえに、受け入れるしかない絶望的な孤独にじっと耐えて過ごしたことはないだろうか。

村上春樹の多くの小説の中でこのシンプルなストーリーは反復され、反復されるごとに、骨の関節のあたりで軋む音を感じさせるようになる。

ひとりが、ふたりになって、またひとりになる。最初の「ひとり」と後の「ひとり」とでは質的に徹底的な差異がある。自分の内面などないに等しかった「ひとり」が、内面を引きずる「ひとり」に変わる。最初の「ひとり」は後の「ひとり」を嘲笑うかもしれない。しかし、後の「ひとり」は最初の「ひとり」より、はるかに強い存在である。ただし、その強さはぎりぎりの局面においてのみ露呈される質のものであるけれど・・・。