gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

中国で拘留される 2

宿泊所の所定の位置に停めてあった自転車は、すでに持ち去られていた。しまった。昨夜のうちに、こっそりとこの町を抜け出していればよかった。

「昨日はそんなことは言わなかったじゃないか!なぜだ?!」

と、猛然と抗議したかったが、中国語はしゃべれない。しかし、中国人とは漢字を共有している。上のセリフを筆談で伝えた。

「中国を旅行するには中国の交通手段を使わなくてはならない、という規則がある。」

それが没収の理由だと、公安官は筆談で説明した。(この後に出てくる会話は、すべて筆談である。)

自転車は同じ大学の自転車部員の友人から借りたものだった。やすやすと彼らに渡すわけにはいかない。

「理由はわかった。今後、自転車には乗らない。輪行すると約束するから、返してくれ。」

若い公安官は、私の話を真摯な態度で聞いてくれて「相談してみる」と言った。そして、「午後のバスの時間に間に合うようにまた来る」と言って立ち去った。

少しの希望とともに、私は午後を待った。私の部屋の入口には、監視人が一人置かれた。その男が、食事を運んできたように記憶している。とにかく、私は自由に部屋から出ることを禁じられてしまったのだ。

午後になり、若い公安官ともう一人の公安官が現れた。「これからバス停へ連れて行く」と言う。「自転車はどうなったのか」と聞いたが、答えはあいまいだった。

二人に連れられて、バス停へ行った。バスに乗るように言われたが、「自転車はどこにある?」との質問に彼らは答えない。

「自転車はないのか?」彼らをにらみつけて、私はすたすたと宿泊所へ向かって戻り始めた。彼らは追いかけてきたが、私を無理やりバスに乗せようとはしなかった。

公安としては、「自転車を置いて、さっさとここを出て行ってくれ」という筋書きであることが分かった。私のカンでは、彼の上官が私の乗るマウンテンバイクを欲しがっているに違いない。当時の中国の自転車には、ギアが付いていない。日本製のギア付き自転車を欲しがる人がいるのは自然なことだ。

日本へ帰る船、鑑真号の出発日まであと7日。それまでに上海へ移動しなければならない。この町から北京までバスと汽車で2日かかるとして、北京から上海までスムーズに切符が買えれば1日、最後に上海で1泊。最短なら合計4日あれば日本へは帰れる。ならば、3日間、ここへ留まって交渉しよう。

「自転車を返してくれるまで、私はここを動かない」

部屋へ戻って、そう筆談で伝えた。

(つづく)