gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

意志 その4

ティーブンス・ビレッジに着くと、小さな丸太小屋へ案内され、「ここを使って」と言われる。いつもは娘さんが使っているそうだ。

高校生くらいの年の息子ジェイソン君を紹介され、彼が生活のためのいろいろを教えてくれる。部屋にはドラム缶を利用した薪ストーブがあり、2種類の薪を燃やす。火をつけるときは目の粗い燃えやすい木を使い、火がついたら目の詰まった木を入れて火を長持ちさせる。両方の組み合わせで、部屋の温度を調節する。

村の周囲には、3種類しか木が生えていないようだった。そのうち薪に使えるのは2種類で、一方が目の粗い木、もう一方が目の詰まった木である。つまり、彼らに選択肢はない。

都会を離れ、この極北の「陸の孤島」のような村での生活を経験させてもらって思うことは、自給自足の生活をするために、ちょうどぎりぎり必要なものを自然から与えられている、ということである。何がひとつ足りなくても、生活が成り立たない。

周囲の自然によって賄うことのできる適度な人数の人々が住み、均衡状態を保っている。私は、この均衡状態に美しさを感じる。例えば、この木の話に美しさを感じる。それは、自然に「意志」があるかのように感じるからだろう。

この均衡が崩れると、他の地域にものを求めなければならず、交通が必要になってくる。村の話は、地域の話になり、やがて、国の話になり、地球全体の話になってくる。これが今私たちが生きている21世紀である。

2種類の木の話は、何万という種類の話に拡大される。構成要素は複雑に絡み合い、いったい地球上で起こっているどれくらいのことを私たちは把握し、理解することができるだろう。

そんな拡大された世界の中でも、きっと私たちは、ちょうどぎりぎり必要なものを自然から与えられているのではないか?

エコロジーとかいわれている活動の目指すところも、自然の「意志」を感じ取り、この均衡状態の美しさへいたることだろう。

とはいえ、それがそのまま私の理想というわけではないけれど・・・。

(つづく)