gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

三十三間堂のつくられ方

「一個人」という雑誌で京都の仏像を特集していて、その中に三十三間堂千手観音菩薩像があった。(写真は「一個人」から)

小学生の頃に一度連れていかれたことがあったが、そのおびただしい数の仏像を見て、他の寺の静謐な印象と比較すると、どこか日本的でないダイナミックな印象が残っていた。

それゆえに好ましい場所とはならず、京都で大学生時代を過ごしたにもかかわらず、一度も訪れることはなかった。(学生時代、私の好きな寺は等持院で、朝から夕方まで畳に座り抹茶を飲みながら庭を眺めて過ごしたことが何度もある)

上の写真を見ていて、日本的でないダイナミックな印象がどこから来たかが分かった。それは、千一体の千手観音菩薩立像のすべてに付けられた後光を表す円と放射線という幾何学が重なり合って見えることである。

人間の手の跡をストレートに伝える彫像とこの幾何学の組み合わせが、千一体もならぶことによって、混沌の印象をつくりだしている。

改めて今この姿を見ると、なんと魅力的なことか。

もうひとつ驚いたことがある。

120mも仏像がならぶこのスケールから、ガウディのサグラダファミリアのように100年以上かけてつくられたのではないかと想像していたが、1164年に創建され、1249年に焼失し、救い出された仏像を除いて、876体は1254年に完成した、とある。

その間、わずか5年である。鎌倉時代にそれだけの機動力があったのだ、ということと、仏像制作に取り組む様子は決して静かなものではなかったのだ、ということに驚く。

そもそもこの膨大な数の仏像がここにあるのは、「多くの仏像を造ることが多くの善業を積むことになるという当時の信仰によった」とある。

再興像には「肉取り平板な比較的凡庸な作風」もあるそうで、それはつまり、質より量を重視した結果といえるのかもしれない。

もし、そうであれば、大量生産的な矛盾に、すでにこの時代から職人は悩まされていた、ということになる。