gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

無責任の体系を逆転する

第二次世界大戦後、戦争責任は誰にあるのか、という追及の結果、天皇に戦争責任はないことになった。誰も戦争の主体ではなかった、という構造は「無責任の体系」と呼ばれ、日本社会の不可思議な特性として批判的に受け取られている。

なんとなく、みんなで大変なことをしでかしてしまった、ということだ。そういうことが起こりうる、という危険性は、日本人であれば誰もが感じているのではないだろうか。

話は変わるが、グリッドフレームでは、私と002がデザインの全体的な方向性を決定し、003〜007へ抽象的に伝達し、彼らがそれぞれの感性によって最終的なかたちをつくっていく、というプロセスを理想としている。すべての参加者に決定権を委ねるのである。

したがって、どんなものができあがるか、クライアントはもちろん、私たちの中にも誰一人知る者はいない。ゆえに、私たち自身、どんなプロジェクトにおいても、できあがりをとても楽しみに待つことができる。

そして、作品の主体はつくることに関わった全員ということになるのだから、全員が自分のプロジェクトと感じることができる。

なんとなく、みんなですごいことをやり遂げてしまおう、という会社である。「無責任の体系」を逆転すれば、日本だからこそ、こんな会社が可能になるのではないか。

ネガティブへ向かえば社会の弱点と呼ばれる同じことが、ポジティブへ向かえば社会の強みと呼ばれるのではないだろうか。