gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

ココロガマエ

すべての悲惨や不幸は、より大いなる善へ導くものとして、さもなければその犠牲者が全く正当に受けるいわれのある適正な罰として、見なされなければならない。キリスト教が主張するこのような世界の倫理的な適正さこそ、まさに悲劇が否定するところのものである。正当に蒙るいわれのない不幸が存在する、世界には窮極的な不正がある、と悲劇は言うのだから。(スーザン・ソンターグ)

結果として報われたように見える出来事が起こると、物語が生まれる。人々はその物語を胸に、報われることを夢見て、現実に立ち向かおうとするだろう。

しかし、報われたように見えるその人は、報いを信じて現実に立ち向かったのだろうか。そうではないだろう。絶望の淵にあって、「正当に蒙るいわれのない不幸」を背負って、ただ自分以外の何かを守るために必死になって闘い続けてきただけだろう。ポン、とトンネルを抜け出して、あっけにとられているに違いない。

私たちが悲劇に立ち向かうためには、自分以外の大切な誰かを命がけで守ることに尽きるだろう。その先に報いはない。ただ、私たちはそのために生命を受けたのだから。