gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

グリッドフレームの背景

グリッドフレームは、私がニューヨーク州バッファローの大学で考案したシステムパーツの名前に由来している。システムパーツといえば、ずいぶん立派なもののように聞こえるけれども、要するに、どんなものでも挟んで壁にしてしまうという2枚の格子板である。中に挟まれたものが格子を通して見えることが重要なところである。

つまり、バラバラだと美しくないものが、このように格子を通して見ると美しく見えることを提案したかったのである。

バラバラだと美しくないものは、もっといえば、醜く汚いと思われているものだった。むしろ、醜く汚いものであればあるほど、格子の向こうでは美しく見えると思われた。

そこには、私にとって居心地のよい空間がどのような空間であるか、という問いに対する答えがあった。

私は、学生の頃、日本から出て、発展途上国と呼ばれていた国々を旅した。そして、そこにいる自分が、日本にいる自分とは別の人間であるかのように感じた。日本にいるよりも、はるかに居心地が良かったのである。その理由は、自分が外部の人間であり、その国の共同体のルールによって強制されないポジションにいたからであった。

先進国ではそうはいかない。先進国は、私に年相応の人間であることを要求してくる。発展途上国は、私に何も要求してこなかったのである。

そこでは、私と周囲との関係性は、つくるべきものとしてあった。そのような中で初めて私は私でいられるということを発見したのである。

それでも私は毎回、日本へ帰ってきた。そして、そのことに対する嫌悪も感じなかった。それは、日本にいるときに私が私でいられないとしても、それは日本という国のせいではないことを知っていたからだろう。

空間をつくる、とは、関係性をつくることである。私は、グリッドフレームによって、既成の価値を解体し、様々なものと新たに関係を築いていくことを試みたのだ。もちろん、私が私でいられることを目的として。

あれほど海外を旅することが好きだった自分が、もう10年以上、日本の中にいる。私は、グリッドフレームスタッフ001として、私が私でいられる空間を、この日本の中に見つけたのだろう。

現在、新しいグリッドフレームの開発に取り組んでいる。