大学から大学院にかけての6年間、京都に住んでいた。
故郷・熊本から出てきて、いつしか関西弁を話すようになった。といっても、京都人には6年経っても、「変な関西弁」と言われ続けたが。
就職して東京へ出てきたら、標準語を話すようになった。しかし、「変な関西弁」は自分でも予期しないところで、突然、というよりは、いつの間にか、口をついて出てきた。
標準語では話せないようなノリを必要とするような会話を、関西弁は可能にしてくれる。関西の人には悪いが、下品な話も関西弁だったらしゃべることができる。
二大政党みたいなもので、標準語と関西弁は二つとも全国区で、それぞれに色がある。だから、誰が相手でも、その場の空気によって、使い分けることができる。故郷の方言だとそうはいかないのである。
どちらかといえば口べたな自分を、これまで、どれだけ「変な関西弁」が救ってくれただろうか。
関西弁がつくるホンワカした空気がときおり恋しくなる。