gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

カッパドキアの地中

トルコの中央部カッパドキアを訪れると、不思議な感覚に包まれる人が多いだろう。

奇岩だらけの不毛の土地に、穴を掘って、つい数十年前まで何千年もたくさんの人が住んでいた、という事実に圧倒される。なにか、別の惑星に迷い込んだような錯覚に襲われる。

建築の学生の頃だったから、この反建築的な住居群に衝撃を受け、穴蔵に住んでみたいとさえ思った。文句なしに魅力的な場所だと思ったが、それは私が平和な境遇から来た人間であるからだろう。

周辺には、6万人もの人口を抱えていたといわれる地下都市がある。初期キリスト教徒がローマの迫害を受け、この地に逃れ、隠れて住み続けたらしい。

宗教的な迫害とは、なぜこんなにも徹底して行われてきたのだろう。私には想像もつかない。しかし、迫害を受ける側の心理は分かるような気がする。

私は、人に対して無限に与えられている自由がひとつだけあると思う。それは、「何を自分の頭の中に思い描くか」である。私が、今、何を信じようが、人は決してそれを止めることはできない。

どのような苛酷な現実に直面しようが、自分の頭の中の世界では、幸せに満ちていられるはずだ。私は、少なくとも、そのようにありたい、と思う。

せっかくこのすばらしい自由を与えられているのだから、それを守るために、考えていることを頭の中に留めて、言葉にしなければいい。そうすれば、迫害など受けないですむだろう。ローマに迫害された初期キリスト教徒は「私はキリストを信じています」と言わなければよかったのだ。

しかし、人は頭の中にあることを表現しなければ気が済まない生き物なのだろう。「私はキリストを信じています」と。たとえ、それが苛酷な現実を生み出すだけであっても。

人は、無限の自由を与えられ、その自由の中でたどり着いたものを表現せずには生きていけない。今日も、「つくる」という行為の中にいて、それを確認する。