毎日は混沌の中にある。今日も思いもしなかった出来事が押し寄せてくる。
最近は、それを愉しんでいる自分を感じられる。
軸がぶれなくなったのだろうか。
まるで祭りの熱狂の中にいて、同時に外から静かに自分を眺めているかのように。
その行ったり来たりが少し自在にできるようになってきたのかもしれない。
もちろん、まだまだぶれないわけではない。
でも、大事なことは見えてきている。
毎日は混沌の中にある。今日も思いもしなかった出来事が押し寄せてくる。
最近は、それを愉しんでいる自分を感じられる。
軸がぶれなくなったのだろうか。
まるで祭りの熱狂の中にいて、同時に外から静かに自分を眺めているかのように。
その行ったり来たりが少し自在にできるようになってきたのかもしれない。
もちろん、まだまだぶれないわけではない。
でも、大事なことは見えてきている。
昨年11月末に行った第1回「ペンキのキセキ」で塗装していただいた鉄板が4か月ほどの鋸南の時間を記憶して、プロジェクトに使用されるべく引き上げられた。
今回、自由に塗っていただいたペンキは、途中雨が降って流され、人の手だけでは実現できない複雑さが現れ、塗ったその日にペンキのキセキを目の当たりにすることになった。
参加していただいた方々に感謝。
ひゆは消化を助けるツボだそうだ。
食べない日が続いた後、そのリバウンドのように過食が続いた陽向の次の問題は消化器系である。
このツボを温めることで、陽向の食欲は落ち着いてきた。
棒灸の効果は目を見張るものがある。
絡却のツボを棒灸で温めた効果が出て、陽向は元気が出てきた気がする。元気が出て、初めて食欲が出てくる。
次に示されたのは、納戸(のうこ)。これは、ぼーっとした頭をクリアにする、つまり、脳の働きを活発にするツボと言われている。
ここへ棒灸をすると、意志がより明確に出てくるようになる。
母親に料理を一緒につくりたいと言い始めたのは、この棒灸の直後だった。
眠りにつく瞬間、
ぼくたちは半透明の膜の向こう側へ移動する
そして、
ふわりと空を飛ぶ浮遊感とも
大地の中へ埋もれていく重量感とも
どちらともつかない感覚の中をゆらゆらと彷徨い
やがて、水平の静寂の中へ融けていく
先行きが見えないのは、むしろ普通のことで、そうでなければ生きているとは言えない。
ぼくは「つくる」仕事の理想のカタチをずっと探してきたが、気が付けばその中に在ると言えるのかもしれない。
仕事もそうだし、プライベートもそうだ。いや、仕事とプライベートを分けることに意味を見いだせない。
生活全体、人生全体が混沌の中にあって、混沌を材料として、秩序を生み出す。その秩序は、小さかったり、大きかったりする。
いろんな人がその中に取り込まれて・・・みんなが愉しんでいられるなら、それ以上の状態はないではないか。
つくる空間も、そうありたい。
この10年余りで下北沢は大きく変わった。入り組んだ路地に小さな個人店がひしめく町に大きな資本が入って、その中心が快適・簡単・便利な街につくり変えられてきた。
町の中心にあった昭和の匂いが一掃されていく中で、「土」を見かけることがなくなっていく。工事が終わった頃には、ぼくらはもうそれを見ることはなくなってしまうに違いない。
土は、生命の根源であり、生命が還っていく場所である。誰もが自分でカタチを変えていける、手つかずの大地を思い起こさせてくれるものでもある。それが覆い隠されようとしている。
この街の中心にまだ残る昭和生まれの小さなビル。その古い外観をそのままにして、ここに、土を残そう。そして、その土から生える木のような土のオブジェをカミノキと呼ぼう。
そうすれば、町の中心に過去の時間を伝えるとともに、土を残すことができる。
小さなものが集まって、大きなものをつくる。この町のよさがこれからもずっと続きますように。
陽向は、2日も飲み食いをしないかと思えば、突然ドカ食いをする、という不安定な周期が続く。
そして、同じ姿勢で動かなくなる、ということもしばしばで、ぼくが動かそうとしても全力で動かないよう力を入れる。通り一遍に声をかけても決して返事はしない。
体の大きさがぼくと同じになった彼を、思い通りに動かすのはもう無理で、向き合って彼の状態や要望を受け止め、ぼくの状態や要望を伝えることを全力でやる以外にない。
それを時間をかけて続けていると、やがて彼はぼくの言葉にときどきうなづくようになる。
そして、ぼくが促すように動くようになり、飲み食いを始めるようになる。
毎日毎日、一対一で向き合うこと、それしかない状況だ。
【被災して壊れたモノが片付けられてしまう前にぼくたちへ寄付してください】
災害は脈々と続いてきた生活の場を一瞬にして破壊して時間を止めてしまいますが、今、壊れたモノはまだ残っています
壊れたモノは、そこに生命の営みがあったことを記録するものです
ぼくたちに壊れたモノを寄付していただけないでしょうか?
ぼくたちはそれをどこかの町の新しい空間の素材としてよみがえらせ、生命の営みの記録を未来へ受け継ぐことができます
今日からGFスタッフMさんが現地に入り、石川県災害ボランティアに参加。いよいよプロジェクトの始動です。
ぼくは、熊本地震で母親の住む実家が半壊した経験から、被災された方々の願いはとにかく一日も早く日常を取り戻すことだということを知っています。壊れたモノを「そこに流れた時間を記憶した貴重なモノ」として残したいと考える余裕はほとんどないことも。震災から数か月は、壊れたモノは早く目の前からなくなってほしいモノであるのが普通です。
熊本地震では築100年以上経った亡き父の実家も全壊となり、幼い頃からその土壁に強い愛着を持っていたにも関わらず、それを取りに行かねばと思い立ったのは、もうすべてが片付けられた後だった、というぼく自身の苦い経験があります。
そこに流れた時間の記憶を一切失ってしまった。そのことを痛感しました。
能登で被災された方々の中にも、少し時間が経った後で、ぼくと同じ思いを抱く方がたくさんいらっしゃるのではないか、と思うのです。
だからこそ、お話ししづらい壁を乗り越えて、今のタイミングでソトチクをお伝えする努力をしたいと思います。
まず、正直にお伝えしなければならないのは、ぼくたちは残念ながら、被災した方々が日常を取り戻すためのお力にはほとんどなれない、ということです。
ぼくたちは地震で壊れたモノを寄付で集めて、SOTOCHIKU素材としてどこかの空間づくりのプロジェクトに使用します。そのときSOTOCHIKU素材の売上金額の60%がNPOへ寄付されて、寄付した方は寄付金控除(売上金額の約30%)が受けられます。
ぼくたちは総勢9人の小さな会社であり、空間づくりの規模も件数も決して大きなものではないので、たくさんの物量を扱うことができません。だから、壊れたモノを片付けることができるわけでもありません。壊れたモノをほんの少量採取させていただき、その結果の寄付控除の金額も数万円程度に過ぎない場合が多いです。
でも、その代わりに、寄付していただく一つ一つのモノに対して大切に向き合って、どこかの町でそれぞれの能登の記憶が受け継がれていくように、できる限り質の高い空間をつくろうと努力します。ぼくたちは、モノや人に一対一で向き合って空間をつくると同時に、未来へ物語を伝えることに重きをおいて活動しています。
寄付してくださった方には、モノたちがどのような場所でどのように使われることになったかを丁寧にお伝えしたいと思います。それによって、被災者の方々のこれからの人生をほんの少しでも豊かにできるかもしれない、という思いがあります。
SOTOCHIKU協会では、
①SOTOCHIKUにご興味を持ってくださる方
②SOTOCHIKU素材に一対一で向き合って創造行為に使用することにご興味のある方
③SOTOCHIKU素材をご提供されることにご興味のある方
にぜひメンバーになっていただければうれしく思います。
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