ぼくは、海外でダムや橋をつくる仕事をしたいと漠然と思って大学は土木工学科をめざした。
工学はたぶんそれほどぼくには向いていなかったのだろう。修士課程まで行ったにも関わらず、どうしても、現実と数字との距離感が埋まらないまま、ゼネコンに就職することになった。
しかも、就職するときには時代はすでに変わっていて、国外の土木の仕事はほとんどなく、就職して現場に配属され、監督をしながら気づいたことは、自分のやりたいことは「何をつくるか」に関わることであり、工事に携わる「どうやってつくるか」ではないことだった。そのとき、自分は26歳だった。
それから、会社の留学制度に応募して、アメリカで建築を勉強させていただき、31歳から「何をつくるか」の仕事を開始して今があるのだが、今思い返すと高校生のときに、気づくことはできなかったのだろうか、という疑問が湧いてくる。
エンジニアは「どうやってつくるか」、アーティストやデザイナーは「何をつくるか」。
これくらいのことは、高校生でも腑に落ちることができるのではないか。ならば、遠回りをする必要はなかったのではないか。
だが、もっと考えてみると、工学を学んだことはぼくに染み付いて、今のぼくの全体の中で重要な部分を占めていて、それがぼくがぼくであることに少なからず寄与しているのかもしれない、とも思える。今の仕事も含めて、愉しく生きるには、ぼくがぼくであること以上に大事な条件はない。
正解はないが、高校・大学へ行かずにとりあえず働きながら、自分の興味にしたがって勉強したら、それはそれで面白い人生になっただろう、と思う。