1982年。リドリー・スコット監督。
ぼくは、この映画が公開された10年後にアメリカで建築を学び始めたが、建築の世界では有名な映画だ。
リドリー・スコットの描く近未来が、新宿歌舞伎町をモチーフに描かれたのだ。
近景に、アジア的都市の雑踏。遠景に、鉛直性が際立つ、冷たい高層ビル。
近景にとって大事なのは、電線の有機的なライン、生活感のある古い壁、ひしめき合う看板の灯り、なにか蠢く虫たちのようなサバイバルなエネルギー。
言語の通じ合わない感じ。分かり合えない生き物同士が同居する感覚。そこに、嫌悪感にも似た居心地のよさがある。
共感を持ち得ないところからスタートする未来感。共同体の中の生活から外に出る新しさが、1982年にはあったのだろう。
あれから35年を経た、現在はどうか?
人間とレプリカントの境界がますます曖昧になってきたように、生活の中の、内部と外部の境界もぼやけてきた。
言語が通じていても、深いところまで共感することは難しいのか。